2021年4月の記事一覧

校長だより 「『母校』について」

『母校』について

校長 吉田 強栄

 高校を卒業し、新たな学びの場(社会)に出ると、母校を懐かしみ、友人たちと高校時代の話で大いに盛り上がることがあります。
さて、母校、福島県立磐城高等学校について、皆さんはどのくらい知っていますか。おそらくは、進学校でありながら勉強ばかりではなく部活動にも力を入れている、文武両道を実践している高校、と答える人が多いのではないでしょうか。しかし、一世紀以上の伝統を誇る磐高を表すのにそれでは全く足りません。そこで、もう少し詳しくこの紙面を借りて、磐高の歴史のほんの一部に触れてみたいと思います。
ここに1313ページに及ぶ一冊の書籍があります。これは、平成8年3月31日に発行された『創立百年』と題した福島県立磐城高等学校100周年の記念誌です。このページ数からも、磐高がいわき市はもとより本県における教育の中核的役割を果たしてきたことが垣間見られます。その歴史は明治29年に遡り、次年度で創立126年を迎えます。この重厚な記念誌のページを捲ると、草創の揚土時代(明治29年から大正11年)の写真が掲載されています。そのモノクロの一枚に、多くの人物が写っているものがあります。明治34年第1回卒業生と教師の集合写真です。第1回卒業式は、明治34年3月30日に行われました。この時の卒業生は43人ですが、入学時には116人だったとのことです。創立期は半分以上の生徒たちが中途で退学を余儀なくされていた時代でした。その主な理由には、家事都合があげられており、なかでも経済的理由が第1位となっていました。そして、第2位が「健康」にかかわることで、在学中に亡くなる生徒もいました。当時発行されていた『校友会雑誌』によれば、結核性疾患によるものが多かったとの記録が残されています。明治中期において、この病に有効な治療法はなく難病の一つとされていて、万単位の死者が記録されています。
 また、学校生活は、現在とは大きく異なり始業時刻は四季によって定められていたとのことです。4月から5月31日までは、午前8時、6月1日から8月31日までは、午前7時、11月1日から3月31日までは午前9時と、日長と気候に合わせた合理的なものであったそうです。授業の始まりと終わりはチャイムではなく、喇叭の吹奏で合図されていました。また、現在でも高校生活において、大きな行事の一つである修学旅行については、創立された明治29年に、本校での最初の修学旅行が実施されています。この年11月4日に、茨城県多賀郡大津町(現在の北茨城市大津町)へ出発し、同月6日に帰校するという2泊3日の旅程でした。しかし、現在の修学旅行との最も大きな違いは、徒歩での旅であったことです。約40kmの距離を、片道およそ7時間以上を要しての旅と推測されます。(実際はどのくらいかかったのかは資料がなくわかりません。)
 時は明治時代、欧米列強に対し、日本が対外的独立を達成するためにも、「殖産興業」「富国強兵」を推進し、それに並ぶ国家を建設しなければなりませんでした。当然、教育も近代化を推進するうえで、重要な政策と位置づけられ、国家主義教育が推し進められた時代でした。そして、その後、太平洋戦争での敗戦を経て教育も民主化が図られ、現在に至っています。
 このように、時には自分の母校、大先輩たちが生きた時代などに思いを寄せることも大切だと思います。
 創立から125年、令和の時代、結核は治療可能となり、修学旅行は新幹線等を利用し、京都までおよそ700kmを6時間もあれば到着できます。また、各自が一台以上持つスマートフォンに代表される情報化社会は急速な進展を遂げています。そして学校現場にも情報化の波は押し寄せ、パソコンやタブレット端末、インターネットなどの情報通信技術を活用したICT教育が積極的に推進されています。磐高においても平成30年度より福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想の核を担う起業家や研究者を育成することを目的とする福島スーパーイノベーションハイスクール(SIH)の指定校となり、一人一台のiPadが配られ、電子黒板や電子顕微鏡も配備されました。125年前の大先輩たちは、この恵まれた教育環境を驚き、かつ、大変羨むことでしょう。そして、何よりも現在の母校の発展を誇りに思うことでしょう。
 母校、福島県立磐城高等学校は、創立以来、時代の大きな波に揉まれながらも、125年の歴史を刻んできました。これからは、皆さん一人ひとりが母校の歴史(未来)を刻んでいく番です。
 100年後の皆さんの後輩たちが福島県立磐城高等学校創立200年の記念誌を見て、磐高魂を感じてもらえることと確信しています。そのためにも、皆さん、限られた大切な時間の中で、大いに感動し、喜び、時には悩み自分の進むべき道を探し求めてください。そして、目を閉じ、西暦2121年の磐高の様子に思いを馳せれば、そこには、輝かしい歴史があると信じて。

(令和3年3月1日発行 『令和2年度生徒会誌第60号巻頭言』より)